漂流雲、流れる水

私達とは? 我々は雲が流れるが如く、又水が流れるが如く一つの場所に留まることはない。 人生で壁にぶち当たった時、先人の素晴らしい言葉と教えを学び皆で知恵を寄せ合えばいずれ「真の心」に辿りつくであろう。諦める事無く何度でも立ち向かおう。

「何を求め、何を与えるのか? 家持ちとホームレス。 互いが存在することにより初めて修行というものが成り立つ!」

私達の目的は佛性を通じ皆様とともに真の心を見つけその「真心」を社会に還元することです。

坐禅

禅とは? 人々が休まずお祈りしている間も、立っても座ってもそれは一緒にいる。 あなたがこれを信じなければ、注意深く見つめてるがいい。 今、絶え間なく話しているのはいったい何か。Zen Master Myo-Vong

禅は人間の心に直接届き真の心を見つけ悟りを開く。そして人間の生と死の問題をも解き明かしたくさんの人が幸せになれるように勤める。 火があるが故火の鳥は飛び立つ事が出来る。  Zen Master Pohwa

洗練せずに勉強することは狂気である。 Zen Master Hye-Am

お寺とは?

いっ さは皆に言った。「人の手によって建てられたお寺に意味はない。本当のお寺とは人間の心そのものである。 善き心と共に内に入り神から与えられた試練に耐えなさい。 そして、あなたの神聖なその手と隣人との善き結びつきで法要を行えばそれは真の愛と正義の聖域へと向かう為の行為である。」

無位の真人

祖 師禅とは?臨 在禅師野記録 「碧巖錄」の上堂には有名な無位真人の説法がある。「上堂。云く、赤肉団(しゃくにくだん)上に一無位の真人有って、常に汝等諸人の面門よ り出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」―赤い血の流れるこの体の中にひとりの無位の真人がいる。常に汝らの感覚器官を出入りしているこの無位の真人を、 まだ見とどけていない者はしっかり見とどけよー臨済宗と黄檗宗の基本的なお教えは、この「 無位の真人 」区別のない二つでない己の本面目の自覚である。 これは お釈迦さまの教えの核心でもあり、水が器から次の器へとあふれ流れるように、禅によって世代を超えて伝承されてきた。禅家の教えは真実は本や経典 に書かされている言葉でにあるのではなく、全ての存在に内在されている仏性の中にあるという禅のあり方に基づいている。

 不立文字、敎外別伝、直指人心、見性成仏

特別に認可を得たことは、言葉や文字に頼らずに、経典の外にあり。人間の心を直接指している。本性を見ることが、悟りを得る道なり。

 相師禅は、以心伝心により「活きた言葉、智慧の言葉、ロゴス、禅問答」の素晴らしい教えや概念を2500年以上に渡り後世に伝えてきました。そしてそれは今も、そしてこれからも継続させるべき教えです

遥か昔にブッダは亡くなったが、今もエデンの園では草木が咲き誇っているという。    Zen Master Pohwa

マスターなしで勉強することは死です。 Zen Master Hye-Am

自己点検

これは何か?

泥牛月に吼ゆ、海の底からやってきた泥の牛が口の中に月を咥えて逃げている。(海底泥牛含月珠)

大きな岩の前にいる石の虎が赤ちゃんを抱いて寝ている。(巖前石虎抱兒眠)

鉄の蛇は金剛石で作った目を貫いていて、(鐵蛇鑽入金剛眼)

須弥山が像の背中に乗って雀に引っ張られていく。(崑崙騎象鷺鷥牽)

自 己点検です!こ のようにあなたが祖師達のお言葉を通じて公案の核心を理解し始めたなら、霊的な発展が始まったことであり、あなたはもうそれ以上一般の平凡な人ではなく, 悟りを得始めた人となる。しかし、この新たなる個人は土壌や光のない種のようで、聖人になる材木ではあるが、理解することや 思うこと、話すこと そして  分別することが すでに 悟りを得た禅師ほど成熟してはいない。あなたには禅の道を歩んでいる禅師の助けと不断ない修行が必要であり、偉大な悟りを得る ために必要な条件らが そろわなければならない。あなたが成熟な禅師になるまで誰かに面倒を見てもらわなければならない。禅師達が 保護しながら、絶えず 点検してともに修行して行くことが祖師達の教えである。

例 えば、中国の趙州禅師が悟りを得た時、彼の師匠である南泉禅師は 弟子に「もう下山し他の所で教えを広げなさい」と 助言した。しかし 趙州禅師は 南泉 禅師が亡くなられるまで30余年に渡り随身し、3年間喪に服した後、80歳になってようやく趙州の観音院の住職となられた。

悟りへの道を歩み始めた修行者に師匠がいないということは子どもに父がいないよりもっと危ないことである。これが 趙州禅師が 引き下がらない信念をもってより一層 悟りの深さを完成させるため 師匠の助言を断った訳である。

ある弟子が師匠に聞いた。「さとりを得始めたとき,その時は どのようですか、」

師匠は答えた。「春の風が吹く前に花は咲かない。花がまだ散っていないなら 今は 花咲く季節だ」

持続的な 自己点検は必ず必要である。その練習を通して禅師達の知恵を得ることができる。弟子は賢者である師匠の言葉を注意深く聴かねばならない。瞬間 瞬間の禅師との直接的な会話によって弟子は禅師になる事ができる。

それは、長々し夜のさまよいの後、夜が明け日が昇るように自然なことである。あなたが師匠のもとで間断なく自己点検をすればさとりの花は必ず咲いて明るく輝くだろう。

誰かが聖人になるだろう:夜の闇がいっぱいだから。日は今にのぼる。悟りをちょうど得始めた瞬間なしで誰があえてこの驚異を期待できよう。

 聖 人になるためあなたは祖師達が直接のこした教えをよく従うべきだ。あなたが点検を受ける考案は自分の本姓の発現である。公案自体は点検によってもっと活用 的で信念のある独特な勉強となる。なぜなら不断な自己点検は、本来 偉大な信念,偉大な 疑問、そして偉大な 刺激が 必要だからだ。しかし、信実で根本 的な悟りのための自己点検なしでは、公案はだだの頭脳ゲームに過ぎなくなる。ひたすらの自己点検を通してのみ、公案は生命力を持ち、生と死の問題を扱うこ とができ、さらには 本姓を照らす真の鏡となる。聖人になるためあなたは花の咲く季節を今に迎えようとしているものを守らなければならない。これはすべて 聖人達の教えであるため心に深く刻むべし。 Zen Master Myo-Vong

自己点検なしに勉強するということは疾患である。 Zen Master Hye-Am

創立

いつ誰が禅アカデミーを設立したか?

あなたが三秒前に禅アカデミーを設立しました。弐千伍百伍拾八佛年で, 二〇一四年, 1435 AH, 平成二六, 4347 韓國、 開門しました。

麻山道庵禪士